So-net無料ブログ作成
検索選択

記録6 [病歴]

2016/9/23(金)[雨]

やっと秋〜と思ったらまだ暑い日が戻ってくるらしい[たらーっ(汗)]

一応これで病歴はお終いのはずです^^;


「奈々の病気2
2009年06月04日(木)

2007年2月
雨が降っていたので散歩から帰るとお腹と脚を洗って
ドライヤーで奈々を乾かしていました
右の脇腹を乾かしている時にしこりがある事に気がつき
場所が場所だけに慌てて病院に連れて行くと医師も
怪しいので手術しましょうと・・・

数日後院長先生が手術をしてくださったのですが
私が気づいた以外にも小さいしこりが1つあった為
20センチほど右脇を切り切除しました 3日目の面会で
「安静に出来るのなら連れて帰っていいですよ」と
言われ連れて帰りました
(長引くと入院費がかさむので問題がなければなるべく
 早く返してくれます)

前回と違ったのは奈々には自覚症状がなかった為に
病院に置いて行く時も嫌がり連れて帰った時も
うらめしそうに私の事を見ていました
前回は包帯はせず針金のような糸だったのが今回は
黒っぽい糸で縫ってあり包帯を巻いてずれないように
ネットもしていました

肺に転移する事が多いためにその後3ヶ月ごとに
検査をしていましたが前回の検査も異常がなかったので
そろそろ半年から1年後の検査でよいそうです

手術後しばらくは脇腹に違和感があるのか動きもゆっくりで
通常では考えられないくらい大人しかった奈々も
今では元気に飛び跳ねています

術後大人しく「私は病犬です」といった風情の奈々
傷口を舐めないように洋服を着せています
手術で体重が落ちたのでスリムな奈々です
2.jpg


ここからは現在2016年に書いています

奈々の手術跡ですが随分経ってからも毛をかき分けると
黒い跡が見えました(わかるかな〜真ん中あたりにあります)
8.jpg
これも1年以上経ってますが右脇の下から毛が分かれてます
15.jpg

ちょうど宗太郎の病気が発覚する1年前でした
奈々、奈々、宗太郎と3年続けて手術を受けてました(;;)
奈々の他の病気は今のブログの病歴に載っています

記事を読み返しているうちに当時の気持ちに戻ってしまい
少し辛い作業でしたが宗&奈々を身近に感じる事もできたので
再掲載させて頂いて良かったと思います
夕べは夢の中で奈々が詩音と走っていました^^
(実際には一緒にいたことはないんですけどね)
最後までお付き合い頂きましてありがとうございました
次は楽しい思い出を書けたらと思っています^^

今みると宗太郎の表情に精気がないように見えます(;;)
3.jpg
nice!(18)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ペット

記録5 [病歴]

2016/9/16(金)[曇り][小雨]

宗太郎の最後の病気です
暗い話ですのでスルーしてくださってかまわないですよ〜


「悪性リンパ腫1
2010年03月11日(木)
宗太郎が逝ってしまって2度目の春です
宗太郎の最期の病気を記録しておきたいと思います

宗太郎の様子がおかしくなったのは2008年2月の半ば頃
夜中に吐いたようで朝いつもと様子が違ったので急いで
病院に連れて行き薬をもらい様子を見ることに
その後もう1度薬をもらって落ち着いていました
(この時の医師は初めての先生で胃腸が悪いと
 診断しました)

そして2月の終わりまた宗太郎は吐きこの時は朝早く
時間外で診てもらったと記憶しています
この医師も初めての先生でした
宗太郎が大人しい様子を見て「補助する人がいなくても
大丈夫そうなのでレントゲンを撮りましょう」と
言ってくれました

レントゲン写真を見せられて説明を受け
「即日入院近日中に手術です」と言われ思わず
宗太郎の首に抱きついて泣いていました
『もしかするとこの子にもう会えないかもしれない』

悪性リンパ腫でした
腸の周りにテニスボールくらいのガンが出来ていたのです
周りだった為に便が出ないという事もなく気づかずにここまで
来てしまったのだろうという話でした

2月の半ば最初に病院に行った時に携帯で撮った宗太郎です
1.jpg
手術が前提でその日宗太郎を預けて帰りそして翌朝
病院から電話で緊急手術をしたいので同意して欲しいと
連絡がありました
もちろん同意して準備が出来次第手術に入る事になり
主人と私が病院に行き立ち会いも出来ると言われたのですが
耐えられそうになかったので手術室の前で待ちました

この手術で病巣を全て取り除けるわけではないし
転移している可能性もあると説明を受けていました

手術の途中で院長先生が出て来ておっしゃいました
「5分しかあげられませんが
       安楽死させてあげるか選んで下さい」と

院長先生はその時に助からないとわかっていたのでしょう
でも、主人も私も諦めきれませんでした
このまま宗太郎を死なせるわけにはいかないと思ったのです
飼い主の身勝手なのかもしれません
泣くだけの私に主人が決断してくれました
手術をしてもらって出来る限りの治療をすると

手術にどくれくらい時間がかかったのかも覚えていません
2、3時間でしょうか
手術が終わり転移していたので覚悟はしてくださいと言われ
麻酔でぼんやりとした宗太郎を撫でて息をしている事に
安堵してその日は帰りました

そして1週間面会時間はほんの5分ですが私は毎朝顔を見に行き
主人は間に合えば帰りに寄って顔を見て来る日々でした
術後3日間は絶食です食いしん坊の宗太郎は辛かったと思います
私が会いに行っても医師が他の患畜の為の食事を用意していると
「宗ちゃんはまだ食べられないんだよ」と言われても
視線がずっと医師を追っていました
その後食べられるようになり回復に向かっているはずでした

この時はまだ治らなくても治療で延命できると信じていました
主人がインターネットでいろいろ調べ術後の体力が回復したら
漢方薬で治療する手はずも整えていました
薬はかかりつけ医からではなく遠方の病院から送ってもらう事で
手術をしてくれた病院の担当医にも了解して頂いていました

悪性リンパ腫2
2010年03月12日(金)
1度目の手術から1週間後再度緊急手術に・・・
病院側も私達が同意するだろうという前提で連絡をくれました
1度目の手術後食欲も回復していたのでかなりショックでした

それでも宗太郎は2度目の手術も耐えてまた生きて手術室から
出て来てくれました

2度目の手術から3日目くらいに医師から「危ない状態だ」
と告げられその日午前中ケージから出してもらった宗太郎に
「大好きよ」「ありがとう」と撫でながら話しました
お昼には主人と義父が面会に来て久しぶりに宗太郎は
家族に囲まれました
午後も面会時間ぎりぎりまで宗太郎と過ごし翌日もまた
ずっと一緒にいるつもりで病院を訪れると調子が悪いので
ケージから出せないと言われ扉を開け放した状態で
宗太郎の側につきそっていました

苦しい呼吸の合間に2度私を探すそぶりをして
宗太郎の呼吸はゆっくりになっていきました
そばにいた医師に告げると外来に出ていた担当医を呼び
心臓マッサージをしてくれたのですがもう宗太郎の目に
光がない事に気づき「息を吹き返しても苦しむだけだから」
と蘇生処置をやめてもらいました

優柔不断な私はいつも大事な決断を主人に任せていました
でもこの時はこれ以上宗太郎を苦しませたくないと思い
宗太郎の死を決めました
2008年3月12日午前11時36分頃宗太郎は息をひきとりました
今日は宗太郎の命日です

医師が箱を用意してくれたのですが私では運べそうもないので
大判のタオルで包んで抱えてタクシーに乗せてもらいました
タクシーの中に毛が落ちないようにと包んでもらったものの
顔までは隠せませんでした
私にとっては可愛い可愛い宗太郎でも遺体ですので
運転手さんに「すみません」と謝ると宗太郎の顔を見て
「まだ生きているようだね」と気遣ってくれました

そして数日後
手術後何も口に出来ずお水を欲しがっていたので
お骨になって戻って来た宗太郎にコップいっぱいの
お水をあげました
宗太郎が入院してからどれだけ泣いたでしょうか
今はもう遺骨を見ても泣かなくなりましたが半年くらいは
何をしていてもふっと思い出しては泣いていました
もう2年も経ってしまったんだなぁと思うと寂しいです
最期の時を振り返るとやっぱりまだまだ涙涙なのですが
私の記憶が曖昧になってしまう前に書いておこうと思いました

2度目の診察の時に宗太郎の病気に気づいてくれ担当してくれた
医師が今奈々を診てくれています」



昔の記事ですが最後まで読んで頂いてありがとうございました
記録を残すにあたり一応読み返し文章を手直ししたのですが
さすがに宗太郎の最期の時の事を思い出してしまい、また
涙涙になってしまいました^^;
8年も経っていて細かい事は覚えていないと思っていたのに
まるで昨日の事のようにあの時の気持ちまで蘇ってくる
ものなんですね・・・
まだこちらにない奈々の病歴がひとつあるので
頑張って残そうと思います

nice!(21)  コメント(16)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ペット

記録4 [病歴]

2016/9/15(木)[曇り]




さて今日は宗太郎の記事です〜
アレルギー
2009年05月06日(水)
宗太郎にアレルギーが出たのは我が家に来て初めての春でした
脇と股がピンク色になり近くの病院に連れて行った所
「シャンプーのかぶれ」と言われたのですが疑っていたので
別の病院に行きそこでアカラスが発覚[バッド(下向き矢印)]
アカラスの治療に入ったため本格的にアレルギーの治療を
するのは別の病院でアカラスを卒業してからでした

当時血液検査ではアレルギーの特定は難しいと言われたので
怪しいものは排除するしかなく牛肉はアレルギーが出やすい
と言われフードもカンガルーやラムにしたりおからを与えて
みたりと試行錯誤でした
おやつが焼き海苔と馬のアキレスになったのもこの頃です
(焼き海苔は味なしです)
接触アレルギーも考えられるので寝床は綿のタオルに変えたり
疑わしい事があると次々と試してみました
(その後の検査で実は綿も大豆もダメだったのですが(;;))
首輪から胴輪にかえたのも宗太郎の首が赤くなった為でした
(皮の首輪がいけなかったのかもしれません)
治療は痒みがひどくなるとステロイドを飲ませカラーをして
湿気をとるためにシッカロールをはたくくらいしか
出来ずそのうち指の股も赤くなりカラーをしていないと
そこら中舐めたり噛んだりしていました

病院の治療以外になんとかならないものかと殺菌作用があるお茶
がいいのではと緑茶で脚を洗ってみたり温泉のもとが効くと聞き
試したりしてみたものの、どれも効果は今ひとつでした

亡くなる前年に遠方の病院でのシャンプー治療をネットで知り
パッチテストと通院中の病院のアレルギー検査の結果を送り
診てもらうと、脇や股に細菌がいる事がわかり脱ステロイドを
目指しシャンプー療法を始めました

2日おきにシャンプーです
宗太郎の症状にあわせたシャンプーを病院で購入し
シャンプー剤をシャワーで泡立てて10分つけた後流し
リンスを泡立てて10分つけ流します

宗太郎も嫌々ながら自分の為だという事はわかっていたようで
わりと良い子にシャンプーとドライヤーをさせてくれました

2007年の12月から始めて、宗太郎が入院する翌年2月の終わり
まで続けかなり調子は良くカラーをしていなくても大丈夫な
くらいまでになっていました
入院中痒みに悩まされなかっただろう事が唯一の救いです

ただ宗太郎が亡くなる原因になった病気にステロイドが
効いていただろうと医師に言われ複雑な心境でした
ステロイドは身体に良くないからと脱ステロイドを目指して
シャンプー治療を始めたのに・・・
病院に通い慣れてしまって病気に気づいてあげられなかった
事が悔やまれてなりません




アカラスの時病院で購入したエリカラは色は不透明なブルーで
重いし宗太郎では口が届いてしまうのでボスが半透明の軽い
素材で宗&奈々に合わせたカラーを自作したのですが
長時間しているのでストレスもたまったのでしょう
機嫌が悪いとわざと私の足にぶつけながら歩いてました
可哀相だけどそんな所も可愛かったね〜宗太郎♡
アトム2.jpg

nice!(14)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ペット